子供の頃、駅前、町角で傷痍軍人「戦友」「異国の丘」を奏でていた(彼等のうちには香具屋の下にあった者もいたというのはまた別の話)。友人の家の仏間には軍服姿の若い遺影があった。玄関には「誉の家」という標識がかかっていた。
学生時代、シベリア鉄道(!)でヨーロッパへ行こうとして「俺の目が黒いうちは一族の者がロシアの土地を踏むことは絶対許さん!」と二番目の伯父に殴られた。伯父はシベリアに3年半抑留されていた。そして戦争の話は一切しなかった(法事のときなどに戦地の話を楽しそうに!する母方の伯父たちもいたがそれはまた別の話)・・・。
大日本帝国海軍軍人であった祖父はすべてを軍時国債につぎ込み財産のほぼすべてを失った(ウマく立ち回った人たちもいたというのはまた別の話)・・・